裏参道 散策ガイド

神苑12区域(※)のうちの6区域「青葉岡」「常磐森」「待宵山」「時雨岡」「凉杜」「明野」は、裏参道を通って散策することができます。裏参道は、石段のない舗装された道なので、どなたでも気軽に歩けます。

スタート地点は桜馬場の北側、宝物館のある青葉岡です。ここから裏参道を通って琴平の町まで歩きます。

※ 金刀比羅宮には、表参道の他に裏参道があります。その表参道と裏参道の間の区域を神苑といいます。神苑は、「青葉岡」「常磐森」「待宵山」「時雨岡」「凉杜」「明野」「朝日岡」「小杉森」「袖岡」「藤渓」「千種台」「千歳岡」の12区域から成ります。

小林一茶句碑

桜馬場の小林一茶句碑がある脇道を上ると・・・

青葉岡

・・・宝物館に至ります。この付近一帯の高台を青葉岡(あおばがおか)といいます。

宝物館

宝物館は、文部省技師の久留正道の設計により明治38年(1905)に建てられました。香川県産の花崗石造による二層建、屋根は入母屋造で「青木石」の瓦葺、玄関は唐破風造(からはふうづくり)の銅葺、という和洋折衷の重厚な建物です。

初期は「金刀比羅宮 博物館 一号館」という名称でした。明治27年(1894)に片山東熊が建設した奈良国立博物館と同じく、我が国最初期の博物館です。久留正道は明治26年(1893)のシカゴ万博で日本館を設計しています。近代建築の巨匠 フランク・ロイド・ライトは、これを見て日本建築のすばらしさを認識したといわれています。

館内には当宮の宝物が陳列されています。三十六歌仙額、重要文化財十一面観音像は特に有名です。

天皇陛下御手植之松・皇后陛下御手植之松

宝物館の裏手には、天皇陛下(昭和天皇)御手植之松・皇后陛下(香淳皇后)御手植之松があります。

眺望

また、桜や紅葉の季節の青葉岡からの眺望はすばらしく、鮮やかな色に染まった神苑を一望できます。

攝政宮殿下御野立所

大正11年(1922)、昭和天皇は陸軍特別大演習に際し、攝政宮として軍を御統監されていました。11月18日、展望の良い青葉岡から軍を御統監されました。その記念として攝政宮殿下御野立所が建てられました。記念碑の文字は、当時の第11師団長陸軍中将 向西兵庫の筆です。

宝物館建築記念碑

宝物館の東側には、宝物館の建築記念碑があります。設計者の久留正道の名前などが記されています。

金毘羅庶民信仰資料収蔵庫

宝物館の隣りの建物は金毘羅庶民信仰資料収蔵庫です。普段は非公開ですが、企画展などで一般公開することもあります。

池とあずまや

金毘羅庶民信仰資料収蔵庫の裏には、池とあずまやがあり・・・

戦捷記念碑

・・・その向かいには日露戦争の戦捷記念碑があります。

明道黌之跡

宝物館の北側には小さな丘があり、大きなクスノキが立っています。この丘は、明治16年(1883)から29年(1896)まで存在した中等普通学校「明道学校」の跡地「明道黌之跡」(めいどうこうのあと)です。

当時、香川には公立の中等普通学校(現在の高校に相当します)がありませんでした。そこで、香川の中等普通教育の中心とすべく、金刀比羅宮が境内に明道学校を設立したのでした。

著名な卒業生には、衆議院議員であった山下谷次や、帝国水難救済会を創設した石榑千亦(いしくれちまた)がいます。

明治29年(1896)、丸亀の尋常中学校(明治26年開校)にその役割を譲る形で廃校になりました。

皇太子明仁殿下御手播の松・皇太子妃美智子殿下御手播のオリーブ

明道黌之跡には、皇太子明仁殿下(今上天皇)御手播の松があります。 その隣には皇太子妃美智子殿下(今上皇后)御手播のオリーブがあります。

高橋由一館

明道黌之跡の南側に、高橋由一館があります。

金刀比羅宮には、日本近代洋画の祖である高橋由一の油絵が27点もあります。2001年、高橋由一による「琴陵宥常像」が発見され、新聞などで話題になりましたが、当宮にある高橋由一の作品はその19代宮司 琴陵宥常が明治期に購入したものです。高橋由一館では27点全ての作品を常設展示しています。

高橋由一館の周辺にもいろいろなものがあります。

オガタマノキ・クロガネモチ

高橋由一館の北側の芝生には、オガタマノキと、皇太子殿下御成婚記念のクロガネモチがあります。

和名「オガタマノキ」は、「招魂」から転化したものと思われます。オガタマノキは、金刀比羅宮境内にて古来より植栽され、サカキと共に神事に用いられてきました。琴平町の町木でもあります。

さざれ石

高橋由一館の正面玄関の前には、さざれ石があります。由来を解説した石碑が添えられています。

久保井信夫歌碑

さらに、高橋由一館の南側の広場には、琴平町出身で北原白秋に師事した久保井信夫の歌碑があります。

御扉開けの太鼓の音は
朝靄のなづさふ谿に
ながく谺す

裏参道

それでは高橋由一館を後にして裏参道を進みましょう。高橋由一館から宝物館へつづくアスファルトの道、これが裏参道です。

あずまや

緩やかに左へ曲がる裏参道を下り、宝物館を過ぎると、程なくあずまやがあります。

吉井勇歌碑

その横にある舟型の石碑は、吉井勇の歌碑です。

金刀比羅の
宮はかしこし船ひとか
流し初穂をささくるもうへ

常磐森

歌碑を過ぎると、常磐森(ときわのもり)へ入ります。風景は次第に森林の様相を呈します。

琴娘

小渓を渡ると、道は東に折れます。その橋の側にツバキ「琴娘」があります。古くよりこの場所に自生する名樹です。

  • 科名:ツバキ科
  • 学名:Camellia japonica - Kotomusume
  • 花期:1月~3月
  • 原産地:金刀比羅宮
  • 花色・花型:濃紅に不規則な白斑入り。筒蕊。

待宵山

道を東に進んで行くと、待宵山(まつよいやま)に至ります。ここのあずまやにて月の出を待つのを趣があるとし、待宵山と呼ばれます。ここより南方を見れば青葉岡の宝物館を望み、東を見れば讃岐平野の連山を望みます。

谷鼎句碑

あずまやの横には、谷鼎(たにかなえ)の句碑があります。 昭和十年(1935)頃、東京府立第五中学校教諭であった谷鼎が、修学旅行引率で当宮を訪れた際にこの歌を詠みました。

象頭山金毘羅大権現と
幼きより聞き馴れて
名のいたく親しき

時雨岡

道は待宵山から北西に続き、時雨岡(しぐれがおか)に至ります。

つつじ丘

時雨岡の西側には、つつじ丘があります。丘一面に各種のツツジが植えられています。

入江為守歌碑

つつじ丘の手前に入江為守の歌碑があります。

大正天皇の御即位式の際、玉座の左右に悠基(ゆき)・主基(すき)の御屏風が立てられました。主基の御屏風は、一双に主基地方なる香川県の四季の風光が描かれていました。この歌は、その中の琴平山の図に題されたものです。屏風の絵は栖鳳竹内恒吉によるものでした。

あまねくも
ふりわたるらむ神のます
ことひら山のゆふたちの雨

凉杜

時雨岡を過ぎると、道の側に渓流が続きます。この辺りを凉杜(すずしのもり)といいます。

渓流を渡る橋

凉杜より渓流を渡ると、広場があります。

明野

その広場一帯を明野(あけの)といいます。紅葉の眺めがすばらしい場所です。

こんぴら弁慶

渓流を渡る橋の傍に、ツバキの大木「こんぴら弁慶」があります。花の大きさ、樹勢の強さがまさに弁慶です。

  • 科名:ツバキ科
  • 学名:Camellia japonica - Konpira Benkei
  • 花期:1月~3月
  • 原産地:金刀比羅宮
  • 花色・花型:紅。外弁八重、唐子咲。花径約13cm、旗弁数50内外。

古帳女句碑

明野の東には、古帳女の句碑があります。

天の川
くるりくるりと流れけり
あたまから
かぶる利益や
寒の水

裏面には古帳庵の二句が記されています。

のしめ着た
みやまの色や
はつ霞
折もよし
衣更して
象頭山

古帳女と古帳庵は夫婦であろうと思われます。 文政13年(1830)、当時50歳の古帳女は全国の神社仏閣を隈なく巡拝しました。その間、病気盗難にかかることなく無事に過ごせたことを金毘羅大権現の守護に依るところと考え、その御神徳に感謝した古帳女がこの句碑を建碑したと伝えられています。

琴平の町

明野から再び裏参道に戻り、下っていくと、琴平の町に至ります。


(C) KOTOHIRA-GU 金刀比羅宮
2022年11月22日 6:28 pm