由緒

〝こんぴらさん〟の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう) は、琴平山(象頭山)の中腹に鎮まります。

小西可春編「玉藻集(たまもしゅう)」延宝5年(1677)や、菊池武賢編「讃州府志(さんしゅうふし)」延享2年(1745)などには、それぞれ「この山の鎮座已(すで)に三千年に向(ちか)づく」とあります。

初め、大物主神を祀(まつ)り、往古は〝琴平神社〟と称しました。

中古、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の影響を受け、〝金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)〟と改称し、永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇を合祀しました。

その後、明治元年(1868)に神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止されて元の神社に復(かえ)り、同年7月に宮号を仰せられて〝金刀比羅宮〟と改称し、現在に至っています。

金刀比羅宮には主たる祭神の大物主神(おおものぬしのかみ)とともに、相殿(あいどの)に崇徳(すとく)天皇が祀られています。

全国にある「こんぴらさん」の総本宮

大物主神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)の子、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様として、全国の人々の厚い信仰を集めています。

大物主神について

大物主神

古伝によれば、大物主神は、瀬戸内海の海水が深く湾入し潮が常に山麓を洗う湾奥に横たわる良き碇泊所であったこの琴平山に行宮を営まれ、表日本経営の本拠地と定めて、中国、四国、九州の統治をされたといわれています。

その行宮跡に大神様を奉斎したと伝えられています。

鬱蒼とした樹林に囲まれた琴平山の各所には、今も往古の遺跡と思われる場所があり、境内のそこかしこに大神様のご偉業が偲ばれます。

また、前述の謂れもあり、今もなお〝海の神様〟として広く親しまれています。

古代の象頭山の想像図

崇徳天皇は、御名を顕仁と申し上げ、第75代天皇でしたが、永治元年(1141)には故あって譲位され、保元(ほうげん)の乱に際し讃岐国松山に遷られました。

その後9年間の寂しい生涯に当宮を深く崇敬され、長寛元年(1163)には親しくこの山に参籠なされたといわれています。 今もその旧蹟である「御所の尾」と称される地が残っています。

長寛2年(1164)、崩御なされるや、翌永万元年(1165)7月、当宮との深い由縁をもって相殿に合わせ祀られました。

崇徳天皇について

崇徳天皇

近世以来、神威益々著しく、江戸時代中頃の桃園天皇の御代(みよ)宝暦3年(1753)12月、当宮を勅願所とすることが仰せ出され、同10年5月、日本一社の綸旨(りんじ)を賜わり、明治初年(1868)に至るまで、毎年春秋の2回、禁中より御撫物(おなでもの)が当宮別当に下賜され、宝祚悠久(ほうそゆうきゅう)を祈願していました。

このように歴朝皇室の尊崇すこぶる篤く、また、諸国の大名武将から一般庶民に至るまで広く信仰され、神徳はいよいよ昂揚(こうよう)しました。

元禄末に描かれたと伝えられている「金毘羅祭礼図屏風」


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2017年2月24日 2:28 pm