神苑12区域(※)のうちの6区域「青葉岡」「常磐森」「待宵山」「時雨岡」「凉杜」「明野」は、裏参道を通って散策することができます。裏参道は、石段のない舗装された道なので、どなたでも気軽に歩けます。
スタート地点は桜馬場の北側、宝物館のある青葉岡です。ここから裏参道を通って琴平の町まで歩きます。
初期は「金刀比羅宮 博物館 一号館」という名称でした。明治27年(1894)に片山東熊が建設した奈良国立博物館と同じく、我が国最初期の博物館です。久留正道は明治26年(1893)のシカゴ万博で日本館を設計しています。近代建築の巨匠 フランク・ロイド・ライトは、これを見て日本建築のすばらしさを認識したといわれています。
館内には当宮の宝物が陳列されています。三十六歌仙額、重要文化財十一面観音像は特に有名です。
当時、香川には公立の中等普通学校(現在の高校に相当します)がありませんでした。そこで、香川の中等普通教育の中心とすべく、金刀比羅宮が境内に明道学校を設立したのでした。
著名な卒業生には、衆議院議員であった山下谷次や、帝国水難救済会を創設した石榑千亦(いしくれちまた)がいます。
明治29年(1896)、丸亀の尋常中学校(明治26年開校)にその役割を譲る形で廃校になりました。
金刀比羅宮には、日本近代洋画の祖である高橋由一の油絵が27点もあります。2001年、高橋由一による「琴陵宥常像」が発見され、新聞などで話題になりましたが、当宮にある高橋由一の作品はその19代宮司 琴陵宥常が明治期に購入したものです。高橋由一館では27点全ての作品を常設展示しています。
高橋由一館の周辺にもいろいろなものがあります。
和名「オガタマノキ」は、「招魂」から転化したものと思われます。オガタマノキは、金刀比羅宮境内にて古来より植栽され、サカキと共に神事に用いられてきました。琴平町の町木でもあります。
さらに、高橋由一館の南側の広場には、琴平町出身で北原白秋に師事した久保井信夫の歌碑があります。
御扉開けの太鼓の音は 朝靄のなづさふ谿に ながく谺す
その横にある舟型の石碑は、吉井勇の歌碑です。
金刀比羅の 宮はかしこし船ひとか 流し初穂をささくるもうへ
象頭山金毘羅大権現と 幼きより聞き馴れて 名のいたく親しき
大正天皇の御即位式の際、玉座の左右に悠基(ゆき)・主基(すき)の御屏風が立てられました。主基の御屏風は、一双に主基地方なる香川県の四季の風光が描かれていました。この歌は、その中の琴平山の図に題されたものです。屏風の絵は栖鳳竹内恒吉によるものでした。
あまねくも ふりわたるらむ神のます ことひら山のゆふたちの雨
天の川 くるりヘと流れけり あたまからかふる 利益や寒の水
裏面には古帳庵の二句が記されています。
色やはつ 霞のしめ着たみやまの 折もよし衣更して象頭山
古帳女と古帳庵は夫婦であろうと思われます。 文政13年(1830)、当時50歳の古帳女は全国の神社仏閣を隈なく巡拝しました。その間、病気盗難にかかることなく無事に過ごせたことを金毘羅大権現の守護に依るところと考え、その御神徳に感謝した古帳女がこの句碑を建碑したと伝えられています。