御本宮参拝ガイド
 
御本宮参拝ガイド

表参道から御本宮までの参拝順路を名物の石段に沿って解説いたします。 御本宮までの石段は全785段。途中、様々な見所が沢山あります。見逃しそうな小さな見所も、このガイドに全て掲載しています。一つ一つじっくり見ながら石段を上れば、余裕をもって御本宮に至ることでしょう。個人差がかなりありますが、全行程は約1時間程です。

石段数 見所:画像 見所 解説
0段 表参道 金倉川の一ノ橋から琴平山に向かって歩けば、交差点を渡り、道はそのまま表参道になります。遥かに琴平山を眺めれば、これからお参りに行く御本宮を望むことができます。
1段 1段目 表参道ははじめ平坦ですが、すぐに石段になります。御本宮までの全785段の最初の1段目が始まります。
土産物屋 大門まで多数の土産物屋が並びます。
113段 一之坂鳥居 石段を一つ二つと数え百段目になるころ、「一之坂鳥居」に至ります。
備前焼狛犬 一之坂鳥居の傍らには、重要有形民俗文化財「備前焼狛犬」があります。
一ノ坂 一之坂鳥居から先の大門までは特に急な石段となり、一ノ坂と呼ばれます。
168段 灯明堂 一ノ坂の途中、左側に、重要有形民俗文化財「灯明堂」があります。安政5年(1853)、備後国因之島浦々講中の寄進により、船の下梁を利用して建てられました。切妻造・瓦葺です。
釣燈籠 灯明堂の中には多数の釣燈籠が吊り下げられ、夜の参道を照らします。
288段 琴陵宥常銅像 前方に大門が見え始める頃、右側に、第19代宮司である琴陵宥常の銅像があります。琴陵宥常が創立した帝国水難救済会の30周年記念として、昭和2年(1927)に建設されました。銅像の前には、帝国水難救済会救難具の陳列所があります。
石榑千亦歌碑 銅像の横には、海洋歌人と呼ばれた石榑千亦の歌碑があります。石榑千亦は、明治中期に金刀比羅宮が開設していた明道学校で学びました。

船をくだき
人の命とる海にむかひ
をたけびし君が聲の大きさ

351段 金刀比羅本教総本部 大門のすぐ手前、右側にある建物は金刀比羅本教総本部です。明治10年(1877)に建てられました。
青銅大燈籠 金刀比羅本教総本部の前には、重要有形民俗文化財である青銅大燈籠があります。金刀比羅宮へ奉納された青銅燈籠のなかで最も豪華なものです。同型のものが山形県の山寺に一基、宮城県金華山の黄金山神社に一対奉納されています。
鼓楼 金刀比羅本教総本部に対するのは、鼓楼と清塚です。鼓楼は、朝夕時刻を知らせる時太鼓を備えた高閣です。宝永7年(1710)に建てられました。
清塚 鼓楼の横にある石碑は清塚です。 宝永7年(1710)5月、鼓楼を建設中の工夫達は、その土木作業中に塚を発見しました。ですが、時既に遅く、壊してしまった後でした。当時、「清少納言は老後に四国へ移住し、金刀比羅宮にも参拝に来たことがあり、この地で亡くなった」との言い伝えがありましたので、その塚は清少納言の墓であると考えられました。その夜、付近に住む人の夢に宮女が現れ、一首の和歌を詠みました。

うつゝなき跡のしるしを誰にかは
問われしなれど有りてしもがな

その話を聞いた時の別当は、「清少納言の霊が夢で訴えたに違いない」と考え、天保15年(1844)に現在の石碑「清塚」を建てました。石碑には次の句が記されています。

まきあげし小簾のむゆきに古塚の
ふりかはりぬる秋のむらさめ

365段 大門 大門は神域の総門です。水戸光国の兄である松平頼重候から寄進されました。二層入母屋造・瓦葺です。
「琴平山」の額 楼上に揚げられた「琴平山」の額は、有栖川宮熾仁親王殿下の御筆です。
讃岐平野の眺望 ここで振り向いてみると、今まで上ってきた石段が眼下に続き、遥かに讃岐平野が見えます。
五人百姓 大門を入るとすぐ、大きな傘をさして飴を売る5軒の店があります。この5軒は、特別に宮域での商いを許された五人百姓です。
本居豊頴歌碑(北側) 五人百姓のある広場には、本居豊頴の歌碑が二基、向かい合ってあります。北側には「日清軍に歌よみける中」とあります。

朝つくる
光まはゆみ白雲の
槙ねの龍もかけひろめけむ

本居豊頴歌碑(南側) 南側には「甲辰乙巳の戦役の歌の中」とあります。

朝日には
消えすあらめや玉とのみ
世をあさむくも露の間にして

365段 ~ 431段 桜馬場 桜馬場 大門から150メートル程続く石畳の道は、桜馬場と呼ばれます。道の両側に続く玉垣の内には、数十株の桜が植えられ、その間に無数の石燈籠が建てられています。春になると、爛漫に咲いた桜が左右から枝を交え、すばらしい桜の道となります。
青葉岡 桜馬場の右手の一段高い岡は、青葉岡と呼ばれます。神苑の一区です。青葉岡には宝物館と金毘羅庶民信仰資料収蔵庫があり、宝物や美術品が展示されています。帰路にはぜひお立ち寄り下さい。
小林一茶句碑 桜馬場の途中、宝物館へ続く脇道があります。その角に、俳人小林一茶の句碑があります。寛政6年(1794)、当時32歳の一茶がこんぴら参りをした際の句です。

おんひらひら蝶も金比羅参哉

琴陵光重歌碑 小林一茶句碑の手前にあるのは、金刀比羅宮第21代宮司琴陵光重の歌碑です。平成11年(1999)に建立されました。

春うらら
磴道につづく人波の
北の南の国訛りかも

431段 桜馬場西詰銅鳥居 平坦な桜馬場を進み、青銅の鳥居をくぐって石段を数十段のぼると、正面に特に大きな鳥居が現れます。桜馬場西詰銅鳥居です。元は高燈籠の東側にあったものを、大正元年(1912)に力士の12代目朝日山四郎右衛門が現在の場所に移設して修復しました。
こんぴら狗の銅像 桜馬場西詰銅鳥居の横に、こんぴら狗の銅像があります。イラストレーターの湯村輝彦さんのデザインです。

江戸時代、庶民は旅行を禁止されていましたが、神仏への参拝の場合はその限りではありませんでした。数ある神社仏閣のなかでも、伊勢神宮への参拝の旅は特別で、庶民にとって一生に一度の夢であり、「お伊勢参り」と言われました。それに並び「丸金か京六か」と言われ、讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントでした。

当時、江戸を中心とした東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、当人に代わって旅慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。これを「代参」と言いました。旅を途中で諦めることにした人が、道中で知り合った旅人に旅費と初穂料(お賽銭)を託し代参してもらうこともあったようです。 金毘羅大権現への代参で有名なのが森石松です。清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと伝えられています。

実は、代参をしたのは“人”だけではなかったのです。「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあったのです。 袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。 犬は、旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いたのです。

金毘羅大権現へたどり着いた犬も、そんなのどかな風習により、立派に務めを果たしたのでしょう。この「こんぴら参り」の代参をした犬は、特に「こんぴら狗」と呼ばれたのです。

御厩 桜馬場西詰銅鳥居の向かって左側に広場があります。広場の中央には大きなクスノキがあり、奥には御厩があります。
神馬 御厩では、神様がお乗りになるための馬「神馬」を飼養しています。
高橋由一館 桜馬場西詰銅鳥居の側に、大きな鉄筋の建物「高橋由一館」があります。「日本洋画の開拓者」と称される高橋由一の作品27点を収蔵しています。
477段 着見櫓 鳥居をくぐり石段を上ると、「沿革概要」と「年中祭典」の二枚の掲示板につきあたります。道は左へと続くのですが、その掲示板の上方に黄色い櫓があります。この櫓は「着見櫓」と呼ばれ、その昔、大名行列の到着を見張ったといわれている場所です。櫓の両側に続く黄色い壁には、5本の白いストライプがあります。これは、金刀比羅宮が金毘羅大権現という寺院であった頃の名残で、5本線は最高位の寺格であることの印です。
社務所門 掲示板に向かって右側に、切妻造平入・銅葺の大きな門があります。この門は書院の勝手口なのですが、社務所が書院に付属していた頃の名残で社務所門と呼ばれます。
書院 書院では円山応挙の襖絵などが公開されています。帰路にはぜひお立ち寄りください。
蹴鞠 毎年5月5日と7月7日には書院前庭にて蹴鞠を行います。
500段 神椿 社務所門で左折すると、玉垣と石畳の広場に至ります。この広場の地下に資生堂パーラー カフェ&レストラン「神椿」があります。
神椿のレストラン 皆様にゆっくり休憩していただくためのカフェや、銀座資生堂パーラーの料理をお召し上がりいただけるレストランが備わっています。
神椿のカフェ
木馬舎 神椿の側には、木馬舎があります。慶安3年(1650)、高松城主松平讃岐守賴重から献納されました。木馬は京師田中環中斎弘教宗圓の作です。
512段 黒門 神椿から石段を十数段上ると、参道右側に黒門があります。
四脚門 黒門のさらに向こうに見えるのは、切妻造平入・瓦葺の四脚門です。書院の正門です。黒門・四脚門は、社務所が書院に付属していた頃、勅使が来社される際や皇族・幣帛供進使が参向する場合に用いられました。現在、黒門・四脚門は普段は閉まっていて通れません。
595段 祓戸社 しばらく石段を上がると、正面に雄大壮麗なる社が現れます。慌ててはいけません。これは御本宮ではありません。旭社です。御本宮参拝を済ませた帰路に旭社をお参りすることになっていますので、その詳細は後ほどにいたします。その旭社まで上りきる少し手前に、広場があります。広場には2棟の社殿があります。祓戸社と火雷社です。祓戸社の御祭神は、瀨織津姫神・速秋津姫神・気吹戸主神・速佐須良姫神です。神道の真髄ともいうべき、罪穢を祓い清める神様です。本殿は流造・銅板葺です。
火雷社 火雷社には、火産靈神・奥津比古神・奥津比賣神に座して、八衢比古神・八衢比賣神・來名戸神が合祀されています。鎮火・消防の神、疫病を防ぎ止める神といわれています。
祓戸社前銅馬 祓戸社の東側に祓戸社前銅馬があります。萬野汽船株式会社の創業者である萬野裕昭氏から献納されたものです。
628段 旭社 旭社は帰路で参拝しますので、後述します。
廻廊 旭社に面して廻廊があります。長さは約32メートルあります。嘉永7年(1854)に建てられ、明治34年(1901)に改築されました。
黄銅鳥居 旭社の向って右側に石段がありますが、そちらは下向道(帰路)です。旭社を左手にみながら、廻廊に沿って北へ進み、唐銅の鳥居をくぐります。この鳥居は、慶応3年(1867)に伊豫松山松齢講より献納された黄銅鳥居です。
642段 賢木門(さかきもん) 鳥居をくぐると賢木門があります。賢木門は、唐破風と千鳥破風の棟が交錯する檜皮葺の屋根をもち、他に類を見ない優麗温雅な様式を備えます。 「賢木門」はその昔「逆木門」と書きました。

天正年間(1573~1592)、長曽我部元親は兵を起こして諸州を侵略し、多くの神社仏閣を焼き払っていました。ある日、元親は琴平山の隣の大麻山に陣取ったのですが、その夜、琴平山の草木が全て敵兵に見え狂乱してしまいました。老臣らはこの出来事を、霊境付近を犯したための神罰である、と考えました。 そこで元親は罪を謹み、門を献納することにしました。ですが、建築を急ぐあまり、一本の柱を逆さまにつけてしまいました。そこで、その門は「逆木門」と呼ばれるようになりました。 明治12年(1879)の改築の際に、「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになりました。

逆さまにつけられた柱 逆さまにつけられた柱は、今も宝物館に保存されています。
「賢木門」の扁額 「賢木門」の扁額は、有栖川宮熾仁親王殿下の御筆です。
653段 遙拝所 賢木門をくぐると、右側に遙拝所があります。皇廟(伊勢の神宮)や皇陵を遙拝する所です。流造・銅板葺の神籬殿と、切妻造・銅板葺の拜殿からなります。ともに明治13年(1880)の建築です。また、拜殿の左右には穏和なる石造麗狗があります。
652段 闇峠 遙拝所を経て数十歩の間を闇峠といいます。生い茂る木々に囲まれ、静かな気持ちになります。伶人が奏する雅楽の音が木々の向うから聞こえてくれば、いよいよ本宮が間近であると実感することでしょう。闇峠には、花崗石神明造の鳥居があります。京都錦講より献納されたものです。
本宮手水舎

鳥居をくぐると、正面に手水舎があります。手水舎は心身を清める所です。作法は次の通りです。

手水舎作法

  1. 右手で柄杓に清水を汲み、左手にかけます。
  2. 柄杓を左手に持ちかえて、右手にかけます。
  3. 再び柄杓を右手で持ち、左手の手のひらに水を受け、その水を口に含んですすぎます。(柄杓に直接口をつけてはいけません。)
  4. 口をすすぎ終わってから、もう一度左手に水をかけます。
  5. 柄杓を立てて、その柄に水を流します。
以上を柄杓一杯の水で行います。
マイナス1段 手水舎の手前で道が一段下がっています。表参道から本宮まで石段を上る中、唯一下がるのはこの1段だけです。 御本宮までの石段は785段といわれていますが、実は、「上がる」石段は786段あります。つまり、ここで1段下がることにより、786-1=785段となります。一説によると、786の「な・や・む」と読める語呂を忌み嫌い、一段下げて785段にしたといわれますが、定かではありません。
連籬橋 心身を清めたところで、連籬橋を渡ります。
真須賀神社 連籬橋を渡ると、正面に真須賀神社があります。社殿は入母屋造・銅板葺です。御祭神は、建速須佐之男尊・奇稲田姫尊です。八俣大蛇退治の天叢雲剣の神話に登場する神様で、勇武絶倫の神様といわれます。本宮御祭神である大物主神の御祖神に当たります。
652段 ~ 785段 御前四段坂 真須賀神社を拝し左折すると、急な石段が続きます。石段は4段階に分かれ、各数十段あります。御前四段坂と呼ばれます。ここを上りきれば御本宮です。
御年神社 御前四段坂の途中、右手に御年神社と事知神社があります。御年神社の御祭神は、大年神・御年神・若年神です。大年神は素盞鳴尊の御子、御年神は大年神の御子、若年神は御年神の御弟神の御子です。農作穀物を司る神です。社殿は流造・銅板葺です。
事知神社 事知神社は、御年神社のすこし上にあります。社殿は流造・銅板葺です。御祭神は、積羽八重事代主神・味■高彦根神(■は金に且)・加夜鳴海神です。商売繁盛の神である夷様として広く信仰される神様です。この三柱の大神は本宮御祭神である大物主神の御子神に当たります。
785段 御本宮 御前四段坂を上りきると、そこは本宮です。ここまで全785段の石段です。海抜は251メートルです。本宮の御祭神は、大物主神と崇徳天皇です。農業・殖産・医薬・海上守護の神として古来からの御神徳を仰がれています。
御本宮拝殿 参拝は「二拝二拍手一拝」といって、次のような作法で行います。
  1. 先ず浅く礼をします。
  2. 次に深い礼を2回します。
  3. 次に2回手を打ちます。
  4. 次に深い礼を1回します。
  5. 最後に浅く礼をします。

神拝詞
「祓へ給へ清め給へ
守り給へ幸へ給へ」

トウキヨウ 御本宮社殿の創立に関しては、上古に属するという以外、詳細は解っていません。今を距ること約1000年前
の長保3年(1001)、藤原實秋が一條天皇の勅を奉じて改築したのに始まり、その後の元亀4年(1573)の改築、天正年間(1573~1592)の長曽我部元親による再営を経て、万治2年(1659)の高松城主松平讃岐守賴重之による改築に至り、明治11年(1878)の改築で現在の社殿ができました。本殿・幣殿・拝殿はすべて清素を主とし、檜材が用いられ、檜皮葺の大社関棟造です。■▲(トウキヨウ。■は木に斗、▲は木に共。)は全て角材が用いられ、一切弧をなしていないのが他に類をみない特徴です。
天井の桜樹木地蒔絵 本殿の左右の壁板と、本殿・幣殿・拝殿の天井には桜樹の蒔絵が施されています。
巫女の舞 年間折々の祭典では、拝殿において神職や巫女の舞を見ることができます。毎月1・10・26日に月次祭があり、10月9~11日には例祭があります。
神饌殿・北渡殿 本宮の向かって右にあるのは、神饌殿です。入母屋造の檜皮葺です。祭典や毎朝夕に神前に献ずる神饌を調進する所です。神饌殿と本宮拝殿は北渡殿でつながっています。
本宮北透垣 神饌殿を経て本宮の北側を進むと、本宮北透垣があります。全長は約55メートルです。透垣の向う側は禁足の地域となっています。クスノキの大樹やヒノキの老木が生い茂る神林です。禁足の地域の北東端には、長寛元年(1163)に崇徳天皇が御参籠された旧跡があり、「御所の尾」または「古御籠所」と呼ばれます。透垣越しに北側壁板の蒔絵を見ることができます。
蒔絵 透垣越しに北側壁板の蒔絵を見ることができます。
高台(展望台) 本宮の北東側は、人工の高台が広がり、展望台になっています。ここからの眺めは絶景です。讃岐平野の彼方に瀬戸大橋や讃岐富士などを望むことができます。
目標燈 高台の東側に大きな電灯が取り付けられています。夜間に瀬戸内海を航行する船から当宮を遙拝するときの目標になります。
直所 本宮の向かって左にあるのは、直所です。本宮詰員の控所です。
神木 本宮の前にある大木は、神木のクスノキです。幹の周りは約4.7メートル、高さは約25メートルあります。
神楽殿 神木の東側には神楽殿があります。建物は入母屋造・檜皮葺です。祭典の伶人楽や雅楽を奏する所です。
神札授与所 神楽殿に並んで、神札授与所があります。お守りの拜受を受付けている所です。
幸福の黄色いお守り 「幸福の黄色いお守り」は神札授与所で授与されます。
社務所 神札授与所の地下に社務所があります。金刀比羅宮の事務を総括しているところです。お宮についての問い合わせなどはすべてこちらで伺っております。
南渡殿 本宮授与所の向かい側に長い廊下があります。本宮から、三穂津姫社まで南北に渡っています。この廊下を南渡殿といいます。長さは約40メートルで、屋根は檜皮葺です。明治11年(1878)に建てられました。
参進する巫女 祭典において本宮へ参進する祭員・舞人・巫女や、本宮に進む参拝者が、この廊下を通ります。
本宮本殿南垣 南渡殿の下をくぐると、右側に本宮本殿南垣があります。檜素木の桧皮葺です。
蒔絵 南垣越しに本宮の南側壁板の蒔絵を見ることができます。
睦魂神社 南垣に隣接して睦魂神社があります。社殿は王子造・銅葺です。御祭神は、大国魂神・大国主命・少彦名神です。禁厭・医薬の神様といわれています。
神庫・神輿庫 睦魂神社の隣にあるのは神庫と神輿庫です。神輿・神寳・祭具などが納められています。
三穂津姫社 南渡殿の南端に三穂津姫社があります。本宮の御祭神である大物主神の后にあたる、高皇産霊神の御女、三穂津姫神が祭られています。本殿は檜皮葺・王子造、中殿は檜皮葺、拝殿は檜皮葺・大社関棟造です。5月10日に例祭、毎月1日に月次祭が行われます。
三穂津姫社神饌殿 三穂津姫社の向かって右側に三穂津姫社神饌殿が隣接します。三穂津姫社に奉る神饌を調進する所です。
三穂津姫社直所 向かって左側には、三穂津姫社直所が隣接します。三穂津姫社詰員の控所です。
祓除殿 三穂津姫社直所の西に隣接するのは、祓除殿です。神職や昇殿する参拝者が御祓を受ける所です。
銅馬 三穂津姫社直所の前には銅馬があります。一文銭を集めて作られたといわれています。文政7年(1824)に、周防國花岡驛上原惣左衛門延清より献納されました。
厳島神社 三穂津姫社の向かい側に、厳島神社があります。社殿は入母屋造平入・檜皮葺です。御神主は市寸嶋姫尊です。宮島に祀る神様と同じ素盞嗚尊の御女です。俗に弁財天・弁天といわれ、音楽を掌る福徳の神様として崇拝されます。元はこの社は境外にあったのですが、明治31年(1898)にここへ迎え祀られました。
御炊舎 同じく、三穂津姫社の向かい側に、御炊舎があります。建物は切妻造平入・瓦葺です。明治7年(1874)に建てられました。朝夕神前に献する神饌を調理する所です。
絵馬殿 三穂津姫社の南側に、絵馬殿があります。
絵馬殿の絵馬 絵馬殿には、各地から祈願報賽のために奉納された無数の絵馬が掲げられています。もともとは、生きた駿馬を神に奉納したのが始まりです。後に、絵に描いた馬、つまり「絵馬」を奉げるようになりました。さらに、馬ばかりではなく、武者絵や美人画の絵馬も現れるようになりました。金刀比羅宮は航海安全祈願の信仰を集めていることから、特に船の絵馬が多くみられます。また、特に貴重な絵馬は学芸館に保存されています。
緑黛殿 絵馬殿のさらに南側に緑黛殿があります。参集所や斎館など一連の施設を備える建物です。2004年5月に竣工し、村野藤吾賞と日本芸術院賞を受賞しました。
785段 ~ 628段 下向道 下向道 三穂津姫社の正面から下に向かって石段が続いています。帰路となる下向道です。
大山祇神社 下向道を下る途中、左側に大山祇神社があります。社殿は流造・銅板葺です。御祭神は大山祇神です。山を司り鎮護する神様です。「古事記」に登場する木花開耶姫は御子です。
     
628段 旭社 下向道を下ると、先ほど通った旭社のある広場にでます。旭社の御祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神です。4月1日に例祭、毎月1日に月次祭が行われます。天保8年(1837)に竣工した社殿は、高さ約18メートル、銅板葺の総﨔造二重入母屋造で、全て槻材が用いられています。
旭社の装飾 上層の屋根裏には巻雲が、そして柱間・扉には人物・鳥獣・草花が彫刻されています。どれも稀に見る華麗な装飾です。旭社は、天保時代の芸術の精華を集めた建物なのです。
「降神觀」の額 楼上に掲揚されたは、清国の翰林院侍讀探花及第王文治の筆で、同国の劉雲臺の献納です。
「旭社」の扁額 「旭社」の扁額は、正二位綾小路有長の筆です。
以上で御本宮の参拝順路は終わりです。御参拝の後はぜひ表書院や宝物館などの文化施設をご覧下さい。また、神椿でのお食事や、裏参道・神苑の散策をお楽しみ下さい。
 
(c)KOTOHIRA-GU Sunday, 11-Jul-2010 22:16