表参道から御本宮までの参拝順路を名物の石段に沿って解説いたします。 御本宮までの石段は全785段。途中、様々な見所が沢山あります。見逃しそうな小さな見所も、このガイドに全て掲載しています。一つ一つじっくり見ながら石段を上れば、余裕をもって御本宮に至ることでしょう。個人差がかなりありますが、全行程は約1時間程です。
船をくだき 人の命とる海にむかひ をたけびし君が聲の大きさ
うつゝなき跡のしるしを誰にかは 問われしなれど有りてしもがな
その話を聞いた時の別当は、「清少納言の霊が夢で訴えたに違いない」と考え、天保15年(1844)に現在の石碑「清塚」を建てました。石碑には次の句が記されています。
まきあげし小簾のむゆきに古塚の ふりかはりぬる秋のむらさめ
朝つくる 光まはゆみ白雲の 槙ねの龍もかけひろめけむ
朝日には 消えすあらめや玉とのみ 世をあさむくも露の間にして
おんひらひら蝶も金比羅参哉
春うらら 磴道につづく人波の 北の南の国訛りかも
江戸時代、庶民は旅行を禁止されていましたが、神仏への参拝の場合はその限りではありませんでした。数ある神社仏閣のなかでも、伊勢神宮への参拝の旅は特別で、庶民にとって一生に一度の夢であり、「お伊勢参り」と言われました。それに並び「丸金か京六か」と言われ、讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントでした。
当時、江戸を中心とした東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、当人に代わって旅慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。これを「代参」と言いました。旅を途中で諦めることにした人が、道中で知り合った旅人に旅費と初穂料(お賽銭)を託し代参してもらうこともあったようです。 金毘羅大権現への代参で有名なのが森石松です。清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと伝えられています。
実は、代参をしたのは“人”だけではなかったのです。「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあったのです。 袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。 犬は、旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いたのです。
金毘羅大権現へたどり着いた犬も、そんなのどかな風習により、立派に務めを果たしたのでしょう。この「こんぴら参り」の代参をした犬は、特に「こんぴら狗」と呼ばれたのです。
天正年間(1573~1592)、長曽我部元親は兵を起こして諸州を侵略し、多くの神社仏閣を焼き払っていました。ある日、元親は琴平山の隣の大麻山に陣取ったのですが、その夜、琴平山の草木が全て敵兵に見え狂乱してしまいました。老臣らはこの出来事を、霊境付近を犯したための神罰である、と考えました。 そこで元親は罪を謹み、門を献納することにしました。ですが、建築を急ぐあまり、一本の柱を逆さまにつけてしまいました。そこで、その門は「逆木門」と呼ばれるようになりました。 明治12年(1879)の改築の際に、「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになりました。
鳥居をくぐると、正面に手水舎があります。手水舎は心身を清める所です。作法は次の通りです。
手水舎作法
神拝詞 「祓へ給へ清め給へ 守り給へ幸へ給へ」