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表書院
表書院は、入母屋造、檜皮葺で、萬治年間〔1658‐1660〕の建築と伝えられています。金毘羅大権現に奉仕した別当金光院が、諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿でした。建物は、内部の五間に描かれた円山応挙による障壁画とともに、重要文化財に指定されています。円山応挙の障壁画はすべて、応挙晩年の天明〔1781‐1789〕から寛政年間〔1789‐1801〕にかけての秀作であり、三井家から資金援助を得て京都で制作されたといわれています。また、明治〔1868-1912〕の歴史画家 邨田丹陵も二間の障壁画を担当しています。
円山応挙(享保18年〔1733〕-寛政7年〔1795〕)は、写生派の祖と呼ばれ、写生主義を唱えて江戸〔1603-1867〕後期の画風を変革した京都画壇の大御所、円山派の始祖。その影響は今日まで及びます。享保18年〔1733〕丹波国穴太村(現在の京都府亀岡市)の農家に生まれ、15歳の時京都へ出て狩野派の石田幽汀に師事しました。写実を基本とした自然観照を画面に定着させる新画風により世に迎えられました。通称主水、号は夏雲、仙嶺などを用いましたが、明和3年〔1766〕33歳以降、応挙と号して終生一貫しました。後半生には、徹底した写実主義に装飾性を加え、特に屏風や襖絵などの大画面に優れた効果をあげました。
【参考文献】
「京都画壇250年の系譜展」京都新聞社アートワン発行
「水墨画の巨匠 第十巻 ”応挙”」執筆 安岡章太郎、佐々木丞平
表書院
表書院 前庭での蹴鞠
表書院 紅葉
表書院 雪景色
表書院 満開の桜
森寛斎「檜樹鷲図」
鶴之間 円山応挙「遊鶴図」
鶴之間 円山応挙「遊鶴図」
虎之間 円山応挙「遊虎図」
虎之間 円山応挙「遊虎図」
七賢之間 円山応挙「竹林七賢図」
山水之間 円山応挙「山水図」
上段之間 円山応挙「瀑布図」
富士一之間 邨田丹陵「富士山図」
富士二之間 邨田丹陵「巻狩図」
林泉
林泉
表書院 神札所
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(C) KOTOHIRA-GU 03-Sep-2020 23:37