冷泉為恭(一八二三〜一八六四)は、やまと絵の復興を自己の使命として活躍した幕末の画家として知られています。十七歳にして八十九巻もの絵巻物を見て熟知していたと言われています。その早熟な画才は早くより古絵巻の模写に向かい、天保十二年(一八四三)、十九歳時の「春日権現験記絵巻」の模写を手始めに、生涯にわたって多数の模本を制作しました。しかし、その模本への情熱が彼の人生には仇となってしまいました。若年より模本を通して親しんでいた「伴大納言絵詞」の原本を自ら模写するために、所蔵先である京都所司代酒井家に出入りした結果、幕藩体制側の人間と誤解され、尊攘派の志士から付け狙われることになってしまったのです。京都を離れ、逃亡生活を送るものの、結局は元治元年(一八六四)四十二歳の壮年で志士の襲撃を受けて命を落とす結果となりました。